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イタリア「フィレンツェ・歴史的スポット」の話題

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これが鉄板!フィレンツェ観光で見られる歴史的スポット10選

花の女神フローラの街という意味「フロレンティア」を由来に持つ都市・フィレンツェ。その名の通り、中世以来の美しい街並みが今に保たれ、世界遺産「フィレンツェ歴史地区」に登録されている場所もたくさんあります。その歴史が育んできた芸術の数々は、ルネサンス(文芸復興)の中心地であるこの街で花開きました。そんな、誰もが憧れる芸術の都フィレンツェの歴史的スポット10選をご紹介したいと思います。フィレンツェ観光ならここを押さえておけば間違いなしですよ。

フィレンツェってどんな街?

フィレンツェはイタリア中部、半島の付け根付近にある人口約36万の都市です。

中世以降はフィレンツェ共和国となり、毛織物や金融業で栄えました。
特に15世紀、メディチ家の支配下ではルネサンス(古代ギリシャやローマの文化を復興しようとする動き)の中心となり、華やかな芸術の都として全盛をきわめたのでした。

フィレンツェが輩出した芸術家としては、「神曲」のダンテ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエロなどがいます。

こうした芸術家のパトロンとなったのが、メディチ家でした。

銀行家・政治家としてフィレンツェを実質支配したメディチ家は、多くの芸術家を保護し資金を提供したのです。
中でも、「イル・マニフィコ(偉大な)」と称されるロレンツォ・デ・メディチはルネサンスの黄金時代を築いた人物でした。
そんなメディチ家関連の建築物や芸術作品の数々が、フィレンツェの観光では欠かせないポイントとなってきますよ。

では、次からはフィレンツェ観光にマストなスポットを紹介していきたいと思います。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

「花の聖母マリア大聖堂」という意味であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、3万人を収容できるというとても大きな聖堂です。
上から見るとラテン十字の形をしているんですよ。
ラテン十字とは縦に長い十字のことで、赤十字などに使われる縦横の比率が同じものはギリシャ十字といいます。

この大聖堂は3つの建築物で構成されています。
ドゥオーモと呼ばれる大聖堂部分とサン・ジョヴァンニ大聖堂、ジョットの鐘楼です。

ここでは主にドゥオーモについてご紹介しましょう。

ドゥオーモは高さ107mにもなる大きな建物です。
463段の階段を頑張って登り切る気力と体力がある方はぜひ挑戦してみて下さい。
フィレンツェの街を一望できる素晴らしい光景が広がっていますよ。

ドゥオーモには大きなドームが設置してあり、これをクーポラと呼んでいます。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラはフィレンツェのシンボルでもあるんですよ。
このクーポラのすごいところは、木の枠を使わずにレンガを積み上げただけで造られているということ。
石造のドームとしては世界最大の規模を誇っているんです。

クーポラの内部、天蓋の部分には壮大な天井画「最後の審判」が描かれています。
ヴァザーリというルネサンス期の有名な芸術家によるものですが、このヴァザーリ、今回ご紹介する他のスポットにも関係してくる人物なので、頭の片隅に置いておいてくださいね。

140年以上かけて建設された大聖堂の歴史

さて、大聖堂の歴史について見ていきましょう。

現在の大聖堂は3代目の建物で、元々は4~5世紀ごろに教会堂がここに建てられていました。
そして、2代目となる7~9世紀のものは、なんとそのまま今の大聖堂の地下部分に収まっているんです。

そして1296年から現在の大聖堂の建設が始まりました。
ところが、完成までに140年以上を要しているんですよ。

1302年には最初の建築責任者が死亡してしまい、1334年にはジョットの鐘楼を建てたジョットが責任者となりますが、3年後に亡くなってしまいます。

その後、何人もの建築家の手を経て建設が進みましたが、クーポラが難関でした。

難しい建築なので誰も挑戦できず、そのため、クーポラができるはずの部分だけぽっかりと穴があいたままだったんですよ。

そこで、コンペが行われました。
そこで採用されたのが、ブルネレスキという建築家の案だったのです。
彼はドームを二重構造にすることを提案し、それが受け入れられました。
彼は見事にクーポラを造り上げ、ここでようやく完成をみたのです。

ちなみに、クーポラのてっぺんにはブロンズ製の球と十字架が設置されていますが、これはあのレオナルド・ダ・ヴィンチの師であるヴェロッキオの手によるものなんですね。
そのため、ダ・ヴィンチはこのデザインに自分も関わったと手稿に書き残しているんです。

「暗殺劇の舞台ともなった大聖堂」

メディチ家が全盛期となった1478年のこと、大聖堂のミサの席で暗殺劇が繰り広げられました。

当時、フィレンツェではメディチ家の他にパッツィ家が覇権を争っており、そこの当主がメディチ家の当主ロレンツォ・デ・メディチを殺そうとしたのです。

ロレンツォは難を逃れましたが、彼の弟ジュリアーノが殺されてしまいました。
彼は「イル・ベッロ(美しき者)、「花のジュリアーノ」と呼ばれたほどの美男子で、その死は市民に衝撃をもって迎えられたのです。

そんな彼を失ったメディチ家の報復はすさまじく、パッツィ家に関係する100人近くが逮捕・処刑されました。
そして、この後メディチ家はフィレンツェでの覇権を完全に手にすることになったのです。

ジョットの鐘楼

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の右隣に建つ、高さ84mの鐘楼がジョットの鐘楼です。
設計はジョット、ルネサンスの先駆けとなった画家でした。

ジョットは1334年に大聖堂建設の責任者となりますが、1337年に亡くなってしまいます。
彼の構想は弟子たちに受け継がれ、鐘楼は1387年に完成しました。
そのため、階層によって建築様式は少しずつ異なっています。

ジョットが設計した鐘楼の基底部分は、56枚のレリーフと16体の彫刻が有名です。
実は鐘楼の壁で見られるものはレプリカで、本物はドゥオーモ付属博物館で見られますよ。

ジョットの鐘楼も、ドゥオーモと同様に階段で登ることができます。
こちらも414段とかなりキツいですし、エレベーターはもちろんありません。
しかし、登り切れば頂上からクーポラとフィレンツェの街の絶景コラボを見ることができるので、写真を撮りたい方にはこちらがおすすめです。

近年は落書きの多さが問題となっているこの鐘楼ですが、落書き専用アプリというものが最近登場しました。
タブレットを使ってヴァーチャルに落書きを楽しむというものだそうですよ。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の向かいにあるのが、サン・ジョヴァンニ洗礼堂です。
八角形が特徴ですが、キリスト教では8は復活を示す特別な数であるためだそうですよ。

サン・ジョヴァンニというのは聖ヨハネのことで、キリストに洗礼を与えた「洗礼者ヨハネ」の名を採っています。

この洗礼堂はドゥオーモや鐘楼よりも古く、現在のものは11世紀に起工されたものです。
ロマネスク様式という、石造りで壁が分厚く、窓が小さいという特徴を持っていますよ。
この建築様式は同時代の修道院や教会に見られます。

最初は、この洗礼堂は礼拝堂として使われていました。
しかし後にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ができたため、洗礼堂となったのです。
洗礼堂とは、礼拝堂に入る前に洗礼を受ける場所のことですよ。

洗礼堂の内部は、聖書にまつわるテーマを描いたモザイク画が素晴らしいです。
渋めのゴールドで彩られ、重厚さと荘厳さが感じられますよ。
床も、たくさんの色の石をモザイク状に配置しています。

「天国の扉」

サン・ジョヴァンニ洗礼堂の3つの扉のうち、東と北をギベルティという芸術家が担当しました。
東の扉は1452年に完成し、その素晴らしさからあのミケランジェロが「天国の扉」と絶賛したんですよ。

10枚のパネルを左右に5枚ずつ配置し、アダムとイヴやカインとアベルなどの旧約聖書の物語を描いています。
現在はレプリカで、本物はやはりドゥオーモ付属博物館に展示されていますので、ぜひ足を運んでみて下さいね。

洗礼堂の扉を造るに当たって1401年にコンペが開かれ、7人が応募しました。
最後に残ったのが、ギベルティとブルネレスキでした。
ブルネレスキ、覚えていますか?ドゥオーモのクーポラを設計した人物ですよ。

そして最終的に選ばれたのはギベルティでした。
しかし、2人の共同制作をブルネレスキが辞退したとも言われています。

この2人の作品がコンクール形式で選考されたわけですが、このようにコンクールで制作者を選ぶというのが世界初の事例となったんです。
そして、これがルネサンスの始まりのきっかけとなったのでした。
ちなみに、コンクールのお題となった2人の作品は、同じくフィレンツェにある国立バルジェッロ美術館に展示されています。

アカデミア美術館

フィレンツェに来たら、ぜひ見ておきたいのがミケランジェロ作の「ダヴィデ像」です。
ルネサンスの最高傑作と言われる像で、美術や歴史の教科書にも必ずといっていいほど掲載されているので、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。

元々はフィレンツェの中心であるシニョーリア広場にあったダヴィデ像を風雨の劣化から守るためにと選んだ移動先が、アカデミア美術館なんです。
フィレンツェで最も有名なウフィツィ美術館と並び称される、有名な美術館ですよ。

アカデミア美術館は、16世紀にメディチ家当主コジモ1世を総裁とし、芸術家ヴァザーリが設立したフィレンツェ美術学校の付属機関です。

ここにあるダヴィデ像こそが本物で、いつでも長蛇の列ができています。
高さ5.17m、重さはなんと19tにもなる巨大な像は、フィレンツェ観光で外すことはできませんね。

ちなみに、アカデミア美術館というのはヴェネツィアにもあるのでご注意下さいね。

「イスラエル王国の王ダヴィデ」

ダヴィデ像のモデルは、旧約聖書に登場するイスラエル王国の2代目の王ダヴィデです。

彼がゴリアテという巨人に石を投げつけて仕留めようと狙いを定めている姿が、このダヴィデ像なんですよ。
ダヴィデはイスラエル王となり40年間王座に君臨しますが、この間の逸話の数々は多くの絵画のテーマに選ばれています。

このダヴィデ、トランプのスペードのモデルなんですよ。
そして、英語名のDavid(デヴィッド)の由来にもなっています。

ピッティ宮殿

1457年、メディチ家のライバルでもあった銀行家のルカ・ピッティが建設を始めたピッティ宮殿ですが、ピッティ自身は1472年に完成を見ずに亡くなってしまいました。
というのも、メディチ家に対抗しようと建設を開始したものの、莫大な費用を賄うことができずに工事が中断してしまったのです。
ちなみに設計はドゥオーモのクーポラを設計したブルネレスキ。
大活躍ですね。

工事が中断したこのピッティ宮殿は、1549年には皮肉なことにメディチ家の所有となりました。
そして、当時政府庁舎として建てられたウフィツィ美術館が完成すると、この宮殿はメディチ家の私的な屋敷となったのです。

以降、メディチ家とその後の所有者によって多くの美術品が集められ、増改築が進められていきました。
それは1737年にメディチ家が断絶しても続き、19世紀末になってほぼ今の姿となったのです。

今は美術館として開放されており、主にメディチ家や歴代統治者が収集した美術品が展示されています。
そのコレクションは豪華という以外になく、ボッティチェリ、ルーベンス、ラファエロ、ティツィアーノなど、日本で単独で企画展が開催されるくらいの大物の作品ばかりなんですよ。

この美術館以外にも近代美術、銀器、衣装、陶磁器、馬車などそれぞれの分野の美術館が宮殿敷地内にあります。
1日では回りきれないほどのボリュームですね。

ピッティ宮殿の庭園はボーボリ庭園といい、とても広い大庭園として市民の憩いの場になっています。
噴水や円形劇場、彫刻が配され、公園ながらも優雅な雰囲気を忘れていません。
少しここで休憩するのもおすすめですよ。

実は、ピッティ宮殿と後に紹介するウフィツィ美術館は、ヴァザーリの回廊という長い回廊で結ばれています。
その詳細についてはまた後で…。

ウフィツィ美術館

ウフィツィ美術館は、フランスのルーヴル美術館、ロシアのエルミタージュ美術館、スペインのプラド美術館と並び称されるイタリア最大級の美術館です。

ルネサンスの庇護者であったメディチ家の歴代コレクションが収蔵・展示されていますが、その内訳は、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなど錚々たる顔ぶれなんですよ。

今でこそ美術館となっていますが、ウフィツィ美術館は当時、フィレンツェの役所として造られました。
つまり、ここでメディチ家の当主は政務を執っていたわけですね。
「ウフィツィ」とは英語の「office」の起源となっており、ウフィツィ美術館が政府庁舎だったことの表れになっているというわけなんですよ。
設計はヴァザーリで、1560年に着工し、1580年に竣工しています。

1737年、残念ながらメディチ家の直系は断絶してしまいますが、一族の女性の願いによってそのコレクションのすべては政府に寄贈されました。
そして1769年、美術館として一般公開されるようになったのです。

とにかくものすごいボリュームの作品が展示されており、とても1日で見て回ることはできません。
そのため、見たい絵がある方や時間に制限のある方は、狙いを定めて行った方が無難です。

これだけは見ておいた方がいいという作品をあえて挙げるとするならば、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」、「ラ・プリマヴェーラ(春)」、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」。
そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」やカラヴァッジョの「バッカス」でしょうか。
きっとどの絵もどこかでちらりと目にしたことがあるはずで、やはり本物を見るとその感動はひとしおですよ。

このウフィツィ美術館もまた、ピッティ宮殿とヴァザーリの回廊で結ばれています。
ピッティ宮殿はメディチ家当主の屋敷であり、ヴァザーリの回廊を通ることで外に出ることなくウフィツィ美術館=当時のオフィスに出勤できたということになります。
便利ですね。

ヴェッキオ橋

イタリア語で「ポンテ・ヴェッキオ(古い橋)」と呼ばれるヴェッキオ橋は、その名の通りフィレンツェでいちばん古い橋でもあります。
東京ディズニーシーにこれをモデルにした橋があるので、名前を聞いたことがある方もいるかもしれません。

イタリア中部を西に流れる全長241㎞のアルノ川にかかる橋であり、現在のものは1345年に建設されました。
日本ならちょうど室町幕府が開かれた頃であり、足利尊氏が政権を取った時代ですね。
そんな頃からずっと続いている橋だと知ると、その歴史の深さに感心しますよね。

現在のヴェッキオ橋の上には金銀細工のジュエリーショップが立ち並び、とてもきらびやかです。
繊細な職人技で造られたジュエリーの数々は、見ているだけでも豊かな気分になりますよ。

かつてのヴェッキオ橋の上は、肉屋や青果店が軒を連ねていました。
しかし、ヴェッキオ橋の上をヴァザーリの回廊が通るようになると、すべてが退去させられます。
これは、臭いがきつかったからだそうなんですよ。
加えて、この回廊を通ってメディチ家の当主がウフィツィ宮に出勤するわけだったので、そんな光景は見せられない、という理由付けがされたそうなんです。
ちょっとひどいような気がします…。

そんなヴェッキオ橋ですが、奇跡的にも第二次世界大戦の戦火をくぐり抜けました。
連合国軍がイタリアに侵攻してきた際、ドイツ軍はフィレンツェのすべての橋を爆破したのです。
しかしヴェッキオ橋だけが爆破を免れ、1345年当時の姿を残すことに成功したのでした。

「映画にも登場したヴァザーリの回廊」

さて、ここでは、ピッティ宮殿やウフィツィ美術館にも関連しているヴァザーリの回廊についてご紹介します。

ヴァザーリの回廊は、メディチ家お気に入りの芸術家ヴァザーリによって造られました。
メディチ家当主が住むピッティ宮殿からオフィスだったウフィツィ美術館までの1㎞を結ぶ長い回廊で、その一部はヴェッキオ橋の2階を通っているんですよ。

雨に濡れないという利点や、当主が住居から真っ直ぐ出勤できるという利点もありますが、やはり暗殺のリスクも排除できたことが大きなポイントになっているんです。

そしてこの回廊には、メディチ家の誇る肖像画の秘蔵コレクションが展示されています。
実はここ、トム・ハンクス主演の映画「インフェルノ」にも登場しているんです。

途中には礼拝堂があるんですが、これは回廊の途中に建設されているフィレンツェ最古の教会であるサン・フェリチタ教会の2階と連結しています。
そのため、メディチ家の主は人目に触れることなく密かにミサに参加できたのでした。

しかし、このヴァザーリの回廊は常に公開しているわけではありません。
ごくまれに一般公開されるんですが、それも人数が限定されているため、見学するにはかなりの運がないとダメなんですよ。
しかし、もしフィレンツェ観光を計画している場合は、このヴァザーリの回廊が公開されるかどうかはまず調べておくといいと思います。

ヴェッキオ宮殿

1299年から1314年にかけて建設されたヴェッキオ宮殿は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドゥオーモと同様、フィレンツェを代表する有名な建物です。
現在もフィレンツェ市庁舎として使われている、現役の建物なんですよ。
突出した背の高い鐘楼は94mあり、「アルノルフォの塔」と呼ばれています。

この宮殿を設計したのが、塔の名前にもなっているアルノルフォ・ディ・カンビオ。
彫刻家にして建築家でもあり、当時は巨匠として名を馳せていました。
実は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の最初の案を出したのが彼なんです。

そんな巨匠が設計したヴェッキオ宮殿には、ピッティ宮殿に住む以前のメディチ家も居を構えていたことがあります。

重々しく威厳がある石積みの建物は、宮殿というよりも何かの砦のような雰囲気がありますが、実は中がすごいんです。
ミケランジェロの彫刻やたくさんの絵画が並び、市庁舎というよりは美術館と言った方がいいくらいなんですよ。

この中でも有名なのは、「五百人広間」と呼ばれる長さ53mほどの巨大な大会議室です。
16世紀後半には、もはやこの記事ではお馴染みになってきたメディチ家お抱え芸術家ヴァザーリが、弟子たちと天井画と壁画を仕上げました。

「ダ・ヴィンチの幻の名画が存在する!?」

近年、ヴェッキオ宮殿では大きな発見がありました。

五百人広間にあるヴァザーリが描いた壁画の裏側に、なんとレオナルド・ダ・ヴィンチの絵が存在するとイタリア文化庁が認めたんです。

その絵の名は「アンギアーリの戦い」と言います。
ダ・ヴィンチはここで実験的に油絵に挑戦したのですが、絵の具が流れてしまったために完成を諦めてしまいました。
そのため、彼の弟子だったヴァザーリは、師の絵を傷つけまいとその部分の壁を二重にし、その上から壁画を描いたんです。

加えて、ダ・ヴィンチがアンギアーリの戦いを描いた反対側の壁には、当時、ミケランジェロも壁画を描いていました。
しかし、彼はローマ教皇に呼び戻されたために絵を完成させることができなかったのです。

ではその絵はどうなったのかというと、実に勿体ないことですが、彼の才能を妬んだ別の画家が切り刻んでしまったのでした。

こうして、2人の巨匠の絵が未完成のまま、ヴェッキオ宮殿は完成したのです。

もし2人の絵がきちんと完成していたら、世界に比類なき壁画となったでしょうね。
残念なことです。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

9世紀ごろからこの地にあったサンタ・マリア・デッレ・ヴィーニェ教会を起源とし、これをドミニコ会修道士が手に入れて13世紀に建設したのが、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会です。
14世紀半ばには鐘楼などを追加し、完成しました。

この教会の特徴は、ファサード(建物正面)の色合いです。
深い緑と白の2色の大理石を使っており、コントラストがはっきりしていてとてもインパクトがあるんですよ。
また、幾何学風の模様でもあり、左右対称なところもユニークです。

こんなユニークな教会を手がけた建築家は、アルベルティという人物でした。
レオナルド・ダ・ヴィンチがすべてに才能のあった「万能の人」と呼ばれていますが、実はアルベルティこそがダ・ヴィンチよりも先に「万能の人」であり天才だと称されていたんですよ。
彼はそれこそ何でもできた人物で、建築・数学・法学・演劇・文芸・美術・音楽・運動など、すべてにおいて超一流だったんです。

そして、この教会の内部もまた見どころがたくさんあります。

中に入ると、45mもの大きさに圧倒される木製の十字架があります。
これはジョットの鐘楼を建設したジョットの作品。
また、主祭壇にある、ギルランダイオによる「聖母マリアとサン・ジョヴァンニの生涯」はこの教会で最も有名な絵です。
ほかにも多くの名作と言われる宗教画があるんですよ。

「教会にある世界最古の薬局」

サンタ・マリア・ノヴェッラという名を聞いて、ピンと来た方もいるかもしれません。

ここには薬局が併設されており、世界最古の薬局としても知られています。
今ではオーデコロンや石鹸、ボディケア製品やスキンケア製品などで有名ですよね。

歴史と伝統を守り続け、常にハイクオリティな製品を提供することで知られています。

この薬局は、ドミニコ会修道士の「癒し」と「香り」の思想を元に造られました。
ここでは薬草を栽培・調合し、薬局として出発したわけです。

ここもまたメディチ家と関わりが深く、彼らは薬局の大口の顧客でもありました。
実は、「メディチ」とは英語の「medicine(薬)」の語源にもなっているんですよ。

サンタ・クローチェ教会

世界最大のフランシスコ会の教会であるサンタ・クローチェ教会は、16もの礼拝堂を持つ大規模な教会です。

フランシスコ会のフランシスコとは、創設者の聖人「アッシジの聖フランチェスコ」から来ています。
彼が13世紀初頭にフィレンツェを訪れ、小さな教会を建てたことが起源なんです。

信者がどんどん増えていったため、1294年に新たに造られたのがこのサンタ・クローチェ教会となるわけですね。
設計はアルノルフォ・ディ・カンビオ。
ヴェッキオ宮殿を手がけた人物でもあります。
そして鐘楼はジョットの弟子たちによるものです。

サンタ・クローチェ教会は、別名を「イタリアの栄光のパンテオン」、「フィレンツェのパンテオン」と言います。
その理由は、ここにはイタリアの偉人たちの墓がずらりと並んでいるからなんですよ。
ミケランジェロやサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の設計者アルベルティ、地動説を唱えた天文学者ガリレオ・ガリレイ、政治家マキャヴェッリ、歌曲「ウィリアム・テル」や「セビリアの理髪師」と作曲したロッシーニなどが葬られています。

1966年にはアルノ川の氾濫で大きなダメージを受けてしまい、復興には数十年を要しました。
壁画の修復なども随時行われていますが、日本人も関わっているんですよ。

歴史と芸術の都フィレンツェ観光を楽しもう

フィレンツェ観光には歴史的スポットが欠かせません。
その多くが当時のルネサンスという大きな芸術の転換点に関わってきました。
そしてその影にはメディチ家という巨大な庇護者がいたわけです。
その辺りを頭に入れてフィレンツェの歴史スポットを巡ってみれば、美しい中世の都・フィレンツェをより深く理解し楽しむことができると思いますよ。
ぜひ、フィレンツェ観光の際はこの10の歴史スポットを巡ってみて下さいね。

(引用:wondertrip)



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